フィンランドよりご挨拶申し上げます。
(1938年6月15日-2024年4月21日)
アーティストHeljä Liukko-Sundströmが手掛けるセラミック作品と深遠な物語は多くの人々に感動を与え、デザイン愛好家やコレクターの間でたくさんの確固たる支持者を獲得しました。彼女の作品は数多くのフィンランドおよび国際的な賞で認められています。
Heljä Liukko-Sundströmは1962年にアテネウム美術学校を陶芸家として卒業し、同じ年にArabia芸術部門に受け入れられるという自身の夢を実現しました。そこでは、Birger Kaipiainen、Rut Bryk、Toini Muona、Annikki Hovisaariなど、高い評価を受けているアーティストたちと共に仕事をする機会を得ることになります。それは、Arabiaでの長く実り多いキャリアの始まりでした。
Liukko-Sundströmは、Arabiaの他のアーティストたちとアイデアを交わすことで、知識および芸術的発展の両方に大きな影響を受けます。これらのアーティストの多くは、後に重要な協力者や友人になります。彼女は、Birger Kaipiainenが1967年のモントリオール万国博覧会のために長さ9メートル、高さ4.5メートルのセラミック壁画を完成させる手伝いを依頼されます。巨大な作品を完成させるために更に多くの人手が必要でした。作業が進むにつれて、Liukko-Sundströmは作品の名前であるOrvokkimeri(スミレの海)を考え出しました。
Liukko-Sundströmは、同僚たちがろくろや彫刻の練習をしている一方で、残った廃棄物や鋳造用粘土から作品を作る大胆な実験者でありました。Arabia工場の床に点在する鋳造用粘土の塊は、Liukko-Sundströmの創造的な心に「活用してみて」とささやき掛けました。「 彼女はテーブルに鋳造用粘土を注ぎ、湿った粘土の表面にペイントして実験を始めました。粘土が乾くにつれて、鉄筆で描く線は細くなり、より美しく繊細になって行きました。色を追加したり取り除いたり、表面を軽くたたいたり引っかいたり、セラミックタイルを何度も焼成してみたりを繰り返しました。」
創造的で自分自身に挑戦することに熱心なLiukko-Sundströmは、Iittalaとの限定版シリーズで、小さくてお手頃なステンドグラスの装飾品を作るための新しい方法の開発にも長い間取り組んできました。その結果、吊り下げ式の「ガラスの絵画」または「Lasikortti(ガラスのカード)」と呼ばれる置物として、自然と精神をテーマにしたガラスの絵画が気軽に入手できるようになりました。「ガラスのカード」は、他人の気持ちに寄り添う彼女の繊細さが表面化した一例です。感動的で思いやりのある贈り物を作る彼女の優れた才能は、おそらくHeljä Liukko-Sundströmの人気の秘訣の一つと言えるでしょう。
Liukko-Sundströmは1970年代に美しく詩的なセラミックタイルを作りました。プレートには日常生活の小さな出来事がたくさん詰まっており、人々に喜びや癒し、そして元気をもたらしてくれることを望んでいました。「彼女は物語を語るセラミック作品を作り、誰もが気軽に手に入れることができるような方法で生産したいと考えていました。数え切れないほどの実験を経て、独自の作品に基づくイメージを一度の焼成で粘土板にうまく転写する方法が開発されました。Kaj Franckはこの方法を「セラミック版画」と呼びました。」
Liukko-Sundströmの様々なサイズと形のセラミック版画はすぐに大人気となり、それを作るための専用部門がArabiaに設立されました。「Heljäは、この時代に何が大切か、またこのような豊かな生活の中で人々が何を必要としているかを熟考しています。そして、それは美しくなければならないことは明白です。」彼女が手掛けた人気の靴底型のフラワーセラミックタイルのアイデアは、Liukko-SundströmがKaj Franckへの思いやりを込めたギフトとしてまな板を作っている最中に生まれました。少し装飾的な要素を加えるため、Birger Kaipiainenが残した赤紫の光沢のある釉薬で花束を描きました。
彼女の作品の人気と販売の成功により、Heljä Liukko-Sundströmには自身の希望するアイデアを実行できる自由が与えられることになります。彼女は、芸術部門に影響を与えたArabiaの様々な企業合併や変化の局面においても、キャンペーンやギフト向け商品、カスタム品のみならず、人気の限定版シリーズやユニークな作品のデザインを続けました。
「Heljäのアイデアはどこから沸いてくる来るのでしょうか?彼女はインスピレーションを求めて自然の中や海外へは行きません。彼女は自分がすでに選んだ方向性に対する支持を見出すために周りのものから距離を置こうとしました。彼女の見解では、創造性には、幼い子供が持つ共感能力を維持する必要があります。アイデアは内側から生まれるだけです。」
HLSは幼少期をフィンランド南西部、フィンランド中世の首都トゥルクを取り巻く低地の田園地方で過ごしました。「幼い頃、Heljäは内気で、真面目で、もの静かな子でした。悲しいとき、彼女は「心の翼で空高く舞い上がり」、想像の世界に没頭しました。また、幼い頃の家を取り巻く牧草地、揺れる葦、野原、森の花に魅了されていました。」彼女は自分の秘密の隠れ家から動物や庭や森での喧騒を観察するのが大好きでした。
Liukko-Sundströmは幼い頃に本を書くつもりであることをすでに宣言していました。出版社のOtavaから初めての子供向け童話を依頼された時、自身の芸術的才能を生かして執筆するという夢を実現させるチャンスが訪れました。1977年にLempeitä satuja(優しいおとぎ話)が出版されました。それ以来、Liukko-Sundströmは合計11冊の本を出版しました。 そのうちの4冊は日本語にも翻訳されています。本のイラストから装飾的なセラミックタイルのみならず、バニーの置物、食器、布生地、ラグマット、ポストカード、切手などが作られています。 1981年に彼女の3冊目の本Jäniksen poika(野うさぎの息子)が成功したことも、人気の収集品となったバニーマグシリーズに影響を与えました。バニーマグの背後にあるアイデアは、フィンランドの文化的および季節的な活動を追求しているかわいいウサギを描くことでした。
Liukko-Sundströmのおそらく最も象徴的な食器シリーズは、1983年にArabiaの110周年を記念して、軽くてモダンな食器をデザインするという要望に応えて作ったArabia Tuuli(トゥーリ)です。彼女は、エスポーにあるオラリ教会のために作った装飾を基として、セラミックのキャンドルホルダー、花瓶、洗礼盤を含む食器シリーズを作りました。 白いTuuli(風)シリーズの有機的な形は、自然や鳥を参考にしています。このシリーズは後に、鳥のような青、黄、ピンクのTuuliボウルのセットと、ブルーグレーの海葦をモチーフにしたMerituuli(海風)のプリント版が追加されています。
彼女のユニークなデザインへのアプローチ方法の一例が、1990年代に入院した後に作ったIkikukka(永遠の花)に見られます。アレルギー患者のため、病棟では花を持ち込むことが禁止されていました。 Liukko-Sundströmには、安心してギフトとして贈ることができ、枯れることのないセラミックの花を作るという素晴らしいアイデアがありました。Ikikukkaの上半分は手描きの花柄で、下半分は植木鉢のようです。この巧妙な装飾品は小さな容器としても機能し、ジュエリーやお菓子などの小さな宝物を隠すことができます。デザートボウルとしても使用可能です。Liukko-Sundströmと画家の両方のイニシャルが記入されたこれらのアート作品では、画家のユニークな筆遣いを感じることができます。
Heljä Liukko-Sundströmは2000年代初頭に定年を迎えましたが、多作のアーティストは辞めることを考えていませんでした。 2003年に、会社が芸術部門の閉鎖を決定したとき、彼女はArabia芸術部門協会の設立を支援しています。同時に、Humppilaにある彼女のセラミックスタジオと自宅の建設工事が始まりました。セラミックスタジオAteljé Heljäは、彼女の長年の友人であり同僚の陶芸家であるOlli Vasaが設計しており、スタジオ、陶器窯、ショールーム、ショップを完備しています。Liukko-Sundström はAteljé Heljäで活動し、Arabiaと共同して取り組みを続けています。
出典
本文にはMarjo Tiirikkaの著書『Arabian Heljä』(Arthouse、ヘルシンキ、2018年)からの引用が含まれています。
Heljä Ateljé 公式ウェブサイト (www.helja.fi)
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