フィンランドよりご挨拶申し上げます。
(1944年5月29日 - 2010年9月28日)
Leivoは途中で姓が変わったため、度々Leivoが手掛けた装飾とフォルムデザインの間で困惑と食い違いがあります。この若い女性デザイナーは、Arabia工場で旧姓のSeppälä(セッパラ)名で装飾デザイナーとして働き始めたため、彼女が手掛けた多くの有名な装飾を含む初期の作品には、「IS」のサインが施されています。
彼女が手掛けたヴィンテージ装飾の中で最も人気があるのは、間違いなく明るく陽気な雰囲気のKirsikka(キルシッカ)です。可愛いらしい赤色のサクランボの装飾には釉薬が施れていないため、非常に傷つきやすく繊細です。Arabia Kirsikkaの食器が良い状態で見つかることはめったになく、そのため完璧な保存状態の食器が強く望まれています。その他人気のある装飾には、同様に大胆なTaika(タイカ)(ストライプとベリーのモチーフ)や、1971年にファエンツァ国際陶芸ビエンナーレ展で金賞を獲得した、Peter Windquist(ペテル・ウィンクヴィスト)のフォルムモデルに施された黒色のFaenza(ファエンザ) – Sinikukka(シニクッカ) – Ruskeakukka(ルスケアクッカ)の装飾があります。
Leivoはあまり多くの装飾をデザインしていないため、彼女が手掛けた作品は長く人気が続くヴィンテージのヒット商品となりました。彼女の装飾は、Ruskeakukkaのチョコレートブラウン色やAslak(アスラク)のオレンジ色のような強い色を用いたクラシックレトロなデザインです。Marimekkoの大きなフラワープリントのように、これらの装飾は70年代のボヘミアン・ヒッピースタイルの楽しげな雰囲気とマッチしていました。彼女が用いる色は、数十年前当時の落ち着いたライトグレーやベージュの色と比べるととても新鮮です。
間も無くして彼女は商品デザインへ移行しました。それから、結婚後の姓であるInkeri Leivoで知られるようになります。彼女のフォルムデザインのほとんどがその名で知られています。食器フォルムのデザイナーとして、磁器を形づくるLeivoの真の才能が開花します。彼女を特徴付けるデザインであるArctica(アルクティカ)シリーズは、1979年に作られました。フィンランドではこの新鮮で雪のような雰囲気が人気を博し、Arcticaは今日まで生産が続く成功を収めています。
Leivoがそのようなシンプルな白い食器をデザインしたかったのも不思議ではありません。彼女の母親はArabiaライスポーセリン部門でデコレーターとして在籍していたので、実際に彼女はArabiaで2世代目のアーティストであり、きっと彼女は光輝く白くて美しい薄い磁器の食器に囲まれて育ったに違いありません。
完全に装飾されていない、非常にシンプルなArcticaは、多くのArabiaの画家が装飾をデザインするきっかけとなる空白のキャンバスとして見なされていました。その最初の装飾は1981年に生産され始めたPudas(プダス)であり、その後20年に渡りAurora Borealis(オーロラ・ボリアリス)やPoetica(ポエティカ)のような20種類以上の装飾が登場しました。
長期間にわたる非常に多くのユニークな装飾デザインおよび生産は、Leivoのデザインの多様性と時代を超越した品質の証です。
LeivoのArcticaでの成功は、Nuutajärviからワイングラス、コップ、ショットグラスの補完的なシリーズの制作を依頼されたことで、新たな高みへ到達しました。Nuutajärvi Arcticaのグラスは、セラミックでのデザインの形を模倣していますが、更に薄いガラスの素材がその形に新たな気品を与えています。
Arabiaからのもう1つのクロスオーバーは、Wärtsilä-Järvenpään emali(バルチラ)社によりコーヒーポット、フライパン、ボウルなどの一連のエナメル食器に採用されたUhtua(ウフトゥア)のストライプの装飾です。Leivoはフォルムモデルのデザインで最もよく知られていますが、Uhtuaのような彼女が手掛けた装飾はこれまで絶大な人気を博しています。
80年代初頭、Arabiaは日本の陶磁器会社ニッコーとの共同制作を開始しました。ニッコーは、日本の顧客にフィンランド・デザインを提供したいと考えていました。Leivoは再びデザイナーとして選ばれ、デコレーターのTove Slotte(トーベ・スロッテ)と共にLyra(ライラ)のコーヒーシリーズ用にISモデルを作りました。
Arcticaは、大胆なプリントと強い色を用いた重い炻器の流行とは対照的に、どのようにLeivoが手掛けたフォルムデザインが際立っていたかを示す良い例です。エレガントで軽く、柔らかな丸い形のデザインは、新しいスタイルの一部を形成し始めました。それは、1980年代に生まれた2つの食器シリーズからも明白です。
KRモデルは、水や海により丸められた滑らかな石のように彫刻された柔らかな形を持ち合わせていました。このモデルに使用された装飾であるAiristo(アイリスト)、 Saaristo(サーリスト)、Reimari(レイマリ)は、それぞれフィンランドの列島にちなんで名付けられました。
もう1つのデザインは、1930年代のエレガンスとアールデコの遊び心を捉えた優美なHarlekiini(ハーレキーニ)です。Arcticaのように、Harkeliiniは最も有名なArabiaの古典傑作の1つになり、その多様性によりカラーバリエーションやさまざまな装飾が生み出されました。
大胆な素材実験も、Leivoの作品の成功に重要な役割を果たしました。Arctica、KR、Harlekinは、Arabiaの新しい自動金型製造、1979年に完成したトンネル窯、純白のビトロ磁器を使用した最初のシリーズの一つでした。Leivoは、80年代の台所の新たな便利品である、電子レンジと食器洗い機用の食器を作るための磁器の開発に大きな影響を与えました。彼女が食器のデザインから装飾的なインテリアオブジェクトやユニークな陶芸作品制作へと移行したように、素材を試すことが彼女のキャリに影響を与えています。
LeivoのArabia美術部門への異動は、母親のライスポーセリンの作品から影響を受けた光と影の遊びに対する興味への回帰となりました。彼女は装飾的な花瓶、ボウル、そして特にランプを作り始めました。これらの中で最もよく知られているのは、Arabia Pro Arte(プロ・アルテ)シリーズのGardena(ガルデナ)の食器と、絶妙に美しいスノーランタンのようなランプです。Leivoは、ボーンチャイナが持つ素材の可能性、すなわちに光を透過させる半透明の性質に深く興味を抱いていました。
晩年の彼女のキャリアのハイライトは、Leivo初めての展示会であるボーンチャイナの「光と沈黙」(1992年)です。Winter Garden(ウィンターガーデン、ヘルシンキのAstialiisa店舗から徒歩わずか数分)」での魔法がかった展示会です。温室はボーンチャイナのランタンで満たされ、熱帯植物の間で繊細に輝いていました。これは、自然、特に葉っぱに影響を受けたデザインを手掛けるアーティストにとっては完璧な環境でした。このボーンチャイナのランプは、冬のスノーランタンに似ていますが、その光はお家に夏の雰囲気を作り出す葉っぱ柄のようにも見えます。
きっとLeivoはArabia芸術部門を故郷のように感じていたに違いありません。母親に加えて、そこで彼女は後により多くの家族と出会うことになります。最も重要なのは、Arabia芸術部門の陶芸家の中から、2番目の夫であるRichard Lindh(リチャード・リンド)と親友の1人であるHeljä Liukko-Sundström(ヘルヤ・リウッコ・スンドストロム)に出会ったことです。Inkeri Leivoを記念する記事の中で、Heljä Liukko-Sundströmは、Leivoの芸術部門への愛情と、会社が部門を閉鎖することを決定した後のArabia Art Department Society(Arabia芸術部門協会)の創設における彼女の役割について語っています。
出典
『Arctica collection page』、Arabia Official website
『Arctica redesign』、Arabia press release、2012年
Autio, Jaakko、『Kasva tai kuole: Arabian muotoilujohtamisen kehittyminen ja strateginen ambideksterisyys』、Helsinki university、2020年
Liukko-Sundström, Heljä、『Keramiikkataiteilija Inkeri Leivo』、 Helsingin Sanomat、2010年
『Obituary. Inkeri Leivo』、Helsingin sanomat newspaper、2010年
Peltomaa, Tuija、『Leivo Lennossa Korkeammalle?』、2017年
Pöppönen, Hannu、『Luuposliini valaisee kasvien keskeltä』、Helsingin Sanomat、1998年
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